支援に関心のあるかた

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支援に関心のあるかた

被害者を取り巻く状況

誹謗中傷

犯罪が起きると、テレビやネットニュースでそれが報じられます。そして、それを見た人はネットニュースにコメントを付けたり、自分なりの考えをSNSに投稿したりします。やがてそれらが大きな波となり、憶測を呼び、誹謗中傷となっていくことがあります。
誹謗中傷は被害者をとても傷つけるのですが、書いているひとりひとりは決して悪気はなく、むしろ被害者を思う気持ちに駆り立てられているケースも珍しくありません。
よく考えてみると私たちは、「良い行い」をしたら良いことが起こり、「悪い行い」をしたら悪いことが起こるような感覚を持っています。「努力は報われる」「因果応報」といった感覚です。実際にはこつこつ真面目に生きてきたのに大病を患う人、十分な準備をしないまま試験に受かる人など、因果応報に当てはまらない事例は身の回りにあふれていますが、それでもやはりどこかで因果応報が基本だと感じ、そこに安心をおぼえます。
この感覚は被害者自身の「自分が悪い」という思いのもとになっているだけでなく、被害者を襲う誹謗中傷をもしばしば生み出しています。
犯罪被害のニュースに接すると、自分とは関係のない事件であってもショックを受けてこころがざわざわします。そして、ざわざわすると、「被害に遭ったのは、何か理由があったからなのではないか」という因果応報な理解をしたくなります。
そんなときにはネット上のニュースサイトにコメントをつけたくなったり、SNSで感想を書き込みたくなったり、また、誰かが書いたものに「いいね」をつけたり、拡散したりしたくなったりします。
誰かがコメントを書き、他の誰かが「いいね」をつけ、他の誰かが拡散して・・・それが繰り返されると、読み手は同じようなコメントを様々な形で何度も何度も目にすることになります。すると、今度は読み手に「そこに書かれているのは根拠のある事実だ」という感覚が生まれてきます。そしていつのまにか、
「被害に遭うような理由があったから、被害に遭った」
というデマが、あたかも確かな事実であるかのように流布され始めるのです。
最初の書き手は人生で初めて、たった一度、「そんな場所に行きさえしなければ(涙)」と書いただけなのかもしれない。
でもそのコメントは、被害に遭って、人を信じられなくなって、警察や検察で根ほり葉ほり聞かれて、次々に来る取材に対応して、出回る記事にショックを受けて、それでも仕事や家事は待ってくれなくて疲れ果てた時に、「ずっと頭にある後悔が、文字になり突き刺さるコメント」として被害者のもとに届くかもしれません。他の誰かがコメントを付け加えて、「そんな場所に行った被害者が悪い」という印象に変わってしまったあとに、届いてしまうかもしれません。それを見た誰かが化粧室でする何気ない雑談を、当人が耳にするかもしれません。
「悪意を持って誹謗中傷する人々」だけではなく、「犯罪被害のニュースを見てこころを痛めた善意の誰か」のちょっとしたコメント、気軽なクリック、日常の場での立ち話も大きな力を持っています。そこであなたが立ち止まり、なんの痕跡も残さないことが、実は誹謗中傷を減らし、被害者を支える社会を形作るパーツになっています。

経済的な負担・賠償金の現実

心身の健康を取り戻すための医療費、壊されたものの修復費、そういった「加害行為のために必要となった費用」を加害者が負担することを、「損害賠償」と言います。
損害賠償はとても大切なことなのですが、刑事的な責任だけが自分の責任だとして損害賠償を不当な請求のように考える加害者、そもそも十分な支払い能力を持たないために負担できない加害者なども多く、実際のには被害者が負担するしかないケースは珍しくありません。
損害賠償とは別に、「家族を失ったこと」「健康を失ったこと」など、様々な苦痛に対する慰謝料も請求しますが、「お金の問題ではない。それより家族を、健康を返してほしい」というのが多くの被害者の本音でしょう。それはどうしても叶わないので、仕方なく金銭に換算して請求をします。
裁判で損害賠償や慰謝料の請求が認められると、その金額を受け取っていると思い込み、あたかも「不労所得」「臨時収入」のように受け取る人、「大金を手にしてうらやましい」と考える人もいます。しかし、加害者に経済力がなければ実際にその金額を受け取ることはありませんし、仮に全額支払われたとしても、被害者にとっては「失ったものへの不完全な補填」に過ぎません。
少しずつ、見舞金などの様々な制度も整備され始めています。
しかしどんなお金も、「何事もなければあったはずの平穏な毎日」に釣り合うことはありません。その痛みをどうか忘れずに、この話題に接していただければ幸いです。

こころの健康

犯罪被害によって健康を失う人はたくさんいます。そして、こころの健康は、周囲の人が思うよりも回復に時間がかかります。
被害者の方の気持ちが晴れない様子や、本来の力を発揮できないでいる様子が続いていると、
「もう〇〇か月もたったのに・・・」「もう〇〇年もたったのに・・・」という気持ちがわいてきて、じれったい気持ちになるかもしれません。いつまでもとらわれていないで、前を向きなよと強く言いたくなることもあるかもしれません。
でも、どのようなことであれ、「周囲の人」と「当事者」との時間の流れは違います。どんなに「もう〇〇か月」に感じられても、当事者にとっては「まだ〇〇か月」。ふさがらない傷口から、真っ赤な血がどくどく流れていて、触るのも怖いような傷のままなのです。
「犬にかまれたと思って忘れなよ」
「もっと辛い人もいるんだから」
そんな言い回しを耳にすることもありますが、犬にかまれて、傷がふさがらなくて、真っ赤な血がどくどく流れている時に、犬にかまれたことを忘れられるでしょうか。他の人がライオンにかまれていたら血が止まるでしょうか。
どんなときも、回復するには「安心と安全」が必要です。
安心と安全を感じられるようになってから、少しずつ少しずつ、傷がふさがり始めます。捜査が終わって聴取に呼ばれることがなくなって、犯人が捕まって、報道機関が来なくなって、近所の噂にのぼらなくなって、裁判が終わって、表面的には平穏な暮らしを取り繕えるようになって・・・。
ふさがる一方ではありません。犯人が捕まった時、裁判が始まった時、そうやって事件のことを思い出すと、また傷が開いて真っ赤な血が流れ始めることもあります。
あなただったら、どの時点で「事件前のような安心と安全」を感じるでしょうか。被害者は、どうでしょうか。
回復までの道のりが思いがけず長くなっても、時々そばに来てホッとさせてくれる人がいたら、そのかすかな安心感を頼りに被害者は歩いていくことができます。そしてホッとさせてくれる人がいればいるほど、そこは「皆で被害者を支える社会」になるでしょう。

報道

被害者の方たちの、報道へのスタンスは千差万別です。また、時とともにその意向は変わっていきます。
「一切話したくない、記事にしないでほしい。名前も出さないでほしい。」
「記事が出るのは構わないが、自分たちはつらいから取材を受けたくない。近所の人にでも聞いて欲しい」
「自分からきちんと話すから、近所の人に聞き回らないでほしい」
「自分たちには何の非もないのだから、なんでも書いてくれて構わない。」
「事件が風化していくのがつらい。知ってほしい。忘れないでほしい。」
ひと昔前のような、被害者を踏みにじるような取材合戦はあまり見られなくなりました。被害者支援弁護士による支援も得られるようになりました。発展途上ではあるものの、ご家族からの「匿名希望」などの希望や気持ちに配慮した報道を行う機関も少しずつ増えてきました。心情に配慮する記者との関係に救われたという方もいらっしゃいます。
うつりゆく当事者の意向に配慮し、今現在の希望を意識することができたら、それはとても素晴らしい被害者支援です。そして、日々のニュースを見るときに「この件の報道について、被害者の意向はどうだったのかな」と思いをはせる人が増えていくことは、「皆で被害者を支える社会」の大切な柱の一本となるでしょう。
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